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東日本唯一の御殿建築『川越城本丸御殿』|日本百名城・関東七名城

川越城本丸御殿

 

「日本100名城」や「関東七名城」に数えられており、東日本唯一の「御殿建築」でもある

『川越城本丸御殿』

 

川越は川越城の城下町「小江戸」として発展してきました。

 

川越のシンボルでもある川越城本丸御殿は、東京2020オリンピック聖火リレーの川越の出発地にもなっています。

>>【東京2020】川越に聖火がくるのは7月9日【聖火リレーコース紹介】

 

川越城本丸御殿の歴史

川越城本丸御殿

 

川越城は長禄元年に太田道真・道灌父子により築城

川越城は、長禄元年(1457年)に扇谷上杉持朝が古河公方に備えるために築城しました。

扇谷上杉持朝の家臣である太田道真・道灌父子が築城にあたりました。

 

川越市役所の太田道灌の像

川越市役所の太田道灌の像

 

太田道真・道灌父子は同時期に3つの城(江戸、河越、岩槻)を築城しています。

太田道灌が川越の文化を江戸に移したことから、「川越は江戸の母」とも呼ばれています。

 

川越城の歴史(室町~江戸時代)

戦国時代、北条早雲が武蔵の国へ進出をはかり江戸、河越、岩槻をはじめとする上杉氏の領地に攻め入ります。

天文6年(1537)、後北条氏が河越城を攻め落とし、河越城は北条氏のものとなります。

天文15年(1546)には上杉朝定・上杉憲政・足利晴氏の連合軍が河越城奪還をこころみるも北条氏康率いる数万の兵に撃退されてしまいます。(河越夜戦)

天正4年(1576)、城代大道寺政繁が城の修築を行います。

天正18年(1580)、秀吉による小田原攻めで北条氏が滅亡。それにともない河越城が開城。
同年8月、徳川家康が江戸城に入城し、知行割が行われ、酒井重忠が川越藩の藩主に。

川越は江戸の北の守りとなり物資の供給地として重要視されるようになりました。

寛永16年(1639)、松平信綱が城主となり、前年の川越大火で焼失した城下の復興や川越城の大々的な改修を行いました。

本丸・二ノ丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪などの曲輪、3つの櫓、13の門からなる大きな城郭になりました。

二ノ丸は現在の川越市立博物館や川越市立美術館があるエリア、

三ノ丸は現在の県立川越高等学校があるエリアです。

川越城図

 

弘化3年(1846)、川越城二ノ丸御殿が火災により焼失。

嘉永元年(1848)、時の藩主松平斉典が川越城本丸御殿を造営しました。

この頃から川越藩は17万石となり「小江戸」と呼ばれるようになります。

 

川越城の歴史(明治時代以降)

明治3年(1870)、川越城の廃棄と城地の開墾が許可され、川越城の多くの建物が解体されて掘りも埋められてしまいました。

明治4年(1871)、廃藩置県により川越県が置かれ、その後入間県に。

解体をまぬがれた本丸御殿は入間県庁の市庁舎として利用されました。

大正7年(1918)からは煙草工場として利用されていました。

大正14年(1925)、埼玉県指定史跡に。

昭和8年(1933)には「初雁武徳殿」となり武道場として利用され、戦後は市立第二中学校の屋内運動場として使われていました。

初雁武徳殿の碑

年配の方々には「武徳殿」と呼ばれている方も多いようです。

オバちゃん
オバちゃんのお父さんも「武徳殿」と呼んでいます。

 

昭和26年(1951)には、初雁公園が完成しました。

昭和42年(1967)に大規模な修理工事により復元が行われ、公開施設になりました。

平成18年(2006)、財団法人日本城郭協会から「日本百名城」に選定されました。

 

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川越城本丸御殿

川越城本丸御殿は公開施設となっていて、城内を見学することができます。

入館料は、一般100円、大学生・高校生50円です。

正面の入口から城内に入ることができます。

川越城本丸御殿

 

正面の大きな唐破風屋根の上にある鬼瓦には金色に光る、徳川の家紋である「葵の紋」を見ることができます。

玄関をあがった正面には36畳の広間があります。

広間に足をふみいれると

川越城の広間

 

建具には藩の御用絵師・舩津蘭山によって描かれた「杉戸絵」、床の間には鎌倉初期の大鎧の再現品が飾られています。

鎧の間にあるフサフサしたものは、「杵黒熊毛槍鞘」と呼ばれる熊の毛を使用した槍の鞘を復元したものです。

 

川越城の広間 天井

 

天井には「武徳殿」として使用されていた頃についた、いくつものバレーボールの跡が見受けられます。

 

川越城の廊下

 

御殿内の外周をぐるりと囲む廊下は、御殿内の公的空間と私的空間を区別するために場所により床に使われている木が異なります。

 

川越城 庭園

 

廊下の先には枯山水の庭園があります。

 

南側にある「明治棟」には「第1展示室」があり、平成20~22年度に実施した川越城本丸御殿保存修理工事に関する展示が行われています。

 

川越城 鬼瓦

 

三つ葉葵の紋がついた鬼瓦などが展示されています。

オバちゃん
近くで見るとド迫力です

 

建物の中央ら辺には「第2展示室」があり、本丸御殿の歴史に関する資料などの展示が行われています。

釘隠し

 

釘の頭を隠すために付けられた「釘隠し」葉っぱの装飾のすき間がハート型に見えます。

 

日本100名城のスタンプ

 

日本100名城のスタンプが飾られていました。

 

西側の建物は「家老詰所」

藩の家老たちが詰め、藩政に関して相談をしたりする建物です。

 

川越城 家老詰所

 

なにやら難しい顔つきで相談しているようです。

 

川越城 家老詰所

 

家老詰所の廊下の先にはなにやら怪しげな木戸が・・・

おそるおそる近づき中をのぞくと

 

川越城 家老詰所

 

便所でしたー。

 

川越城 庭園

 

家老詰所の廊下から見える庭園もとても風情があります。

 

川越城中ノ門堀跡

 

本丸御殿から市役所方面へ進んでいくと「川越城中ノ門堀跡」があります。

 

川越城中ノ門堀跡

川越城中ノ門堀跡

本丸御殿に攻め込んでくる敵から城を守るための掘跡です。

当初の規模は深さ7メートル・幅18メートル。

敵が攻めてくる側の勾配は30度、城側の勾配は60度となっています。

 

富士見櫓跡

県立川越高等学校のグラウンド西側には「富士見櫓跡」があります。

川越城には天守はなく、松平信綱によって造られた3つの櫓(やぐら)のうちの1つ 、高さ15メートル、三層造りの「富士見櫓」が天守の代わりとなっていました。

 

城跡公園

2022年の市政施行100周年に向けて本丸御殿周辺の整備を行っています。

50メートルの土塁と北門を復元する予定です。

公園のテーマは「歴史が人を結ぶ公園」

新しい市民の憩いの場として親しまれそうですね。

 

また、本丸御殿周辺では、令和元年9月から「川越城跡 第38次調査」を行っています(令和2年1月現在も調査中)。

先日、川越城跡発掘調査現場見学会が開かれ参加してきました。

当日はとても寒く、見学会が始まると同時に小雪がちらつきはじめました。

発掘現場や出土品の写真撮影はできたものの掲載NGとうことでしたので、

小雪舞う本丸御殿の様子をお楽しみください↓↓↓

 

川越城本丸御殿までのアクセス・開館時間など

【住所】埼玉県川越市郭町2-13-1

【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)

【入館料金】
・一般100円(80円)
・大学生・高校生50円(40円)
・中学校卒業前の方 無料
・身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳又は療育手帳をご持参の方および、その介護者1人 無料
※カッコ内は20人以上の団体料金

【休館日】
・毎週月曜日(休日の場合は翌日)
・年末年始(12月29日から1月3日)
・館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く)

【アクセス】
・東武バス「札の辻バス停」下車、徒歩8分
・小江戸巡回バス「本丸御殿バス停」下車すぐ

 

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川越のオバちゃん

川越に生まれ川越に生きる小江戸っ子。 「たくさんの人たちに川越を知ってもらいたい」 「目にうつる川越の景色を残したい」 「川越のおいしいものを食べつくしたい」 という想いを胸に、買い物カゴ片手に今日も川越の街をお散歩中。

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